それぞれの選択、そして未来の約束
ちょっと前の話になるが、嵐が活動休止を発表した。
日本のトップアイドルとして20年もの間最前線で駆け抜けた彼らの活動休止宣言は、NHKのニュースでも流れる程のビックニュースだった。
私は特段大好きと言う自覚もなかったのだが、理由を知りたいと思い、生中継に見入っていた。
明るく会見に臨んだ彼らは本当に仲が良くて素敵なグループだったのだと感じられた。
翌朝のワイドショーやニュースで嵐の話題に触れると、何か軽くこみ上げてくるものを感じていた。
そして、朝の通勤バスでANNを聞いた時、源さんが「この曲しかないでしょう、嵐でHappiness」と言って嵐のHappinessをかけた。イントロを聴いた時点で目から汁が溢れた。なんだ、この汁は。何故こんなに目から汁が出るのだ。
多くを語らなくても源さんの嵐に対する思いも伝わったし、何より「嵐」の活動休止が私に目から汁を出させるまで彼らの存在が浸透していた事に驚きの色を隠せなかった。確かに5人とも私の中で好感度が高かったし、メンバーは仲も良さそうに見えるし、おじさんになっても嵐は嵐のままなのだろうと信じて疑わなかった。それが2年後、見られなくなってしまうのは寂しすぎると思ったのだった。
そして去年、安室奈美恵さんが引退をした。初めてそのニュースを聞いた時も本当に驚いた。安室さんはソロで活動をされていたので解散では無く歌手を引退すると言う話である。人気絶頂状態でなぜ引退なのか私には理解できなかった。
安室さんにとって歌とはなんだったのか、歌うことを生業としてきた人が歌わない人生をこれから送る。何万人もの人々の前で歌う快感を忘れられるのか。
一生歌い続けるものだと思っていたのは私だけだったのか、色々考えて見るものの答えなど見つかるはずもなく、ただ疑問符だけが頭を駆け巡った。
そして何よりファンの立場として、源さんだったらと考えると到底他人事だとは思えなかった。安室さんはこれからこの先一般人になり表舞台には立たない。この事実は到底直ぐに受け止めきれるものではないはずだ。
安室さんを見守り、時に元気や勇気をもらい、クソみたいな生活の中で安室さんの存在が支えになってきたという人も少なくないだろう。
以前、バラエティ番組の世界の果てまでイッテQの中でイモトアヤコさんが、20年間ファンで居続けた大好きな安室さんに向かって思いの丈を伝えていたのを見て私は嗚咽がするほど号泣した。
好きな相手が違えど、その人を思う気持ちは同じで他人事ではなかったからだ。
源さんだって、いつまでも歌ってくれるとは限らない。突然プロデュース側に回ったりするかもしれないし他に何かを見つけて音楽界、演劇界、出版界からいなくなってしまうかもしれないし、本当にどうなるのかわからない。
でも、当然の事ながら彼らにも「人生」というものがある。歌をやめる選択も本人の自由なのだ。
大野君が言った「何ものにも縛られず普通の生活をしたい」という言葉もわかる。
若い頃からスターである彼らの「夢や憧れは」は私たちの「普通」で、私達の「当たり前」は彼らにとって「夢や憧れ」だったりもするのだ。
私たちの見えない景色が見えたとしても、私たちが見ている景色は見ることが出来ないということなのだ。
幾度もこのゲンラボで言っていることだが、物事には必ず終わりがある。その終わりがどんな形であれその時に後悔だけはしないようにしたい。
だから今、源さんをテレビの前で応援できること、音楽を作ってくれること、CDをリリースしてくれること、ラジオをやってくれること、芝居をしてくれること、執筆をしてくれる事、ライブをやってくれること、そして生きてくれていること。それら全部決して当たり前の事ではなくて色んな奇跡が重なって出来ていることなのだと思うと、本当に心からありがたいと思うのだ。
先日放送されたNHKの星野源スペシャルでドーム公演の映像が流れ、最後の曲「Hello song」の前に源さんはこう言った。
「これからも面白い音楽を作りたいと思いますので、星野源をよろしくお願いします。」
これは本当に嬉しい言葉であり、この先のまだ見えない未来の約束のようなものに思え嬉しくて涙がこぼれた。
今を大切に、また次々と訪れる一つ一つの物事を大切にしながら生きて行こう。
後悔しないように。
※この記事は去年の7月から書き留めていた文章です。先日の源さんの言葉を聞きようやく記事にすることが出来ました。
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